The discretion of a man deferreth his anger

; and it is his glory to pass over a transgression (Prov. 19:11 KJV) - このブログは基本的に画像処理やRTMなど技術に関することを書き連ねていきます。

求めなさい、探しなさい、門をたたきなさい

「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。
だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。
あなたがたのだれが、パンを欲しがる自分の子供に、石を与えるだろうか。
魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか。
このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。
だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。」(マタイ 7:7-12 - 新共同訳聖書)
聖書の、特に新約聖書の4つの福音書中には、自分は神様からの贈り物が満載だと思っています。もちろん、旧約聖書中にも、また新約聖書使徒行伝以降も様々な贈り物が満載なのですが、とかくこの福音書中には、自分たちの罪のための“十字架上の死”だけではなく、様々な奇跡を通して本当に多くの贈り物がこの時代のユダヤの人々に贈られたのだなぁと思います。
今も昔も、神様から贈られるものが同じくあるとすると、いったい何を求め、探し、門を叩くのでしょうか?
マタイ7:7だけ見ると(というかマタイ7:7だけが引用される場合が多いんですが…)、求める→与えられる、探す→見つかる、門をたたく→開けてもらえる、なんて、日本人の感覚からすると割と「わがままOK?」みたいな感じかもしれません。
日本人がこんなに我慢好きになったのも、武士の時代(禅宗的なものが強かった)から2度の世界大戦を経てというのもありますし、元々農耕民族なので思い立ったらすぐ行動というよりは時間を掛けてゆっくりとという考えを持っているからかもしれません。
でも、ここでのこの聖句は、わがままでも何でもないことだと思います。
特に、本当に必要なものならば、本当に緊急なものならば、我慢なんて出来るはずはないと思います。餓死寸前の人に我慢を強いるとか、病気で死が間近に迫っている人に我慢を強いるとか、むしろそれだと我慢をさせる方が逆にわがままのようにも見えます。
マタイ7:8は第3者視点です。7節と8節、同じことを言っているのですが、8節は事実に近い真実です。行動する方が受けるということは同意できるのではないでしょうか。
そして、その行動の結果が、特に愛を持って関係している人々の間にとっては、悪いものを得ることに成り得ないということを8節から11節まで語っていると思います。
親子愛にしても、兄弟愛にしても、友愛にしても、…性愛はわからんけど(汗)、少なくとも求めている人に、欲している人に変な、的を外れたものをあげたりはしないでしょう…相当天然でない限り。
ましてや、神様が自分たちを愛してくださっている愛は、一人子であるイエス様を、自分の罪のために差し出してくださる程の愛ですから、もっとだと思います。
そして、12節が、これも求めなさい〜の聖句の続きなんですね(実は今日注目したのはここだったんですが…)。
『だから』なんです。隣人に対して、愛を持って接するということは、求め、探し、受けるだけではないということだと思います。むしろ、愛を持って接する人は、求める人に与え、探している人と共に探して見つけ、門をたたく人を迎え入れることなのではないでしょうか。
だから、人にしてもらいたいと思うことは何でもあなた方も人にしなさいと言っているわけです。
情けは人の為ならず(巡り巡って自分に返るものである)=A kindness is never lost(英語)と言われていますが、この情け、愛による親切、与えること、奉仕こそ、主が私たちに求めておられることだからこそ、主は私たちにそれができるように一生懸命与えてくださっている…ということでもあるかと思います。
ちょっと長くなりましたが、では何を求めるのでしょうか?
今、自分たちが求めなければいけないのは何でしょうか。
特に、空しい、足りないと思っているのは何でしょうか。
自分にとって求めたいものは『神様からの愛』と、『将来に対する希望』です。
聖書を読み進めていくと、この『神様からの愛』は生まれる前からずっと注がれていることがわかりますし、『将来に対する希望』も、『主の再臨』という形で与えられています。
これがもっと欲しい。早く欲しい。そういった祈りを持って、今日も一日行きたいと思います。
余談ではありますが、ここの聖句、別に世俗的に使っていても正しいと思います。PSPとかWiiとかが欲しいから、求め、探し、門をたたく…まぁ、悪くないと思いますが…主の『良いもの』は、PSPWiiの現物が与えられるか…『忍耐』が与えられるかもしれませんね。いずれにしろ、それを主からの贈り物だと、受け取れるかどうかも大事じゃないかと思います。