The discretion of a man deferreth his anger

; and it is his glory to pass over a transgression (Prov. 19:11 KJV) - このブログは基本的に画像処理やRTMなど技術に関することを書き連ねていきます。

唯一の神からの誉れ

また、あなたたちは、自分の内に父のお言葉をとどめていない。父がお遣わしになった者を、あなたたちは信じないからである。
あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ。
それなのに、あなたたちは、命を得るためにわたしのところへ来ようとしない。
わたしは、人からの誉れは受けない。
しかし、あなたたちの内には神への愛がないことを、わたしは知っている。
わたしは父の名によって来たのに、あなたたちはわたしを受け入れない。もし、ほかの人が自分の名によって来れば、あなたたちは受け入れる。
互いに相手からの誉れは受けるのに、唯一の神からの誉れは求めようとしないあなたたちには、どうして信じることができようか。
ヨハネによる福音書 5:44 - 新共同訳聖書)

神様は私たちを愛してくださっています。
神様は常に私たちに『恵み』を与えてくださろうとしています。
どうしても、人間は目に見えるもの、または何か(他とは)違うものを好みます。神様は見えないからと、おっしゃる人も多いかもしれません。
日本の土着の宗教観からすればでもそれは割とおかしい話で、それぞれのモノに神様が宿っているというのは、むしろキリスト教において言えば『それぞれのモノはすべて神様の所為であり、恵みによって私たちに与えられている』と言って正しいと思います。
どんな自然物であれ、どんな人工物であれ、それが意味するのは『神様からの恵み』なわけです。どれだけこの恵みの大きいことか!
唯一の神様からの誉れってでもすごいですよね。神様ですよ。ぃゃ、神様神様と口に出して言うのもホントにはばかられるくらいの方ですよ。本来なら。しかも、神様からの誉れを求めていいっていうわけですから。普通に考えればこの世の中のトップからいろいろとお褒めを貰うわけですからねぇ。。。しかも、そこで最初に貰えるものが何かって、永遠の命ですよ。でかすぎて考えにも及びませんね(汗。
私たち人間から見れば(あくまで主観的な見方で)、割と『度が過ぎちゃってる』レベルの話だからかもしれません。だから私たちはそれを信じることが出来ないのかもしれません。私たちは良く考えます。物事を考えて、何が正しいか、何が間違っているかを考え、選択することができます。でも、いくら正しいこと、間違っていることを自分で考えたところで、本当に正しいことを選ぶことができるでしょうか?
思ってみれば、たとえば『ここに100万円するパソコンがあります、これをあなたにあげましょう!』と言えば、皆さんどう思うでしょうか?もしくは『3000万円する家を建てました。これをあなたにタダであげましょう!』とか。もっと大きいと、『あなたの一生の経費を保証しましょう。全部出してあげます。』とか言われたら…飛び付きますか?
私自身もそうですが…こんなのはスパムメールの文言ですよね(汗。勘ぐってしまう。裏に何かあるんじゃないか。当然ですよ。タダより高いものはないわけです。でも、もし本当だったら、このチャンスを自分はみすみす逃してることになるわけですよね。人間相手だと、この疑心暗鬼は割と正しい判断なのかもしれません。『だれもかれも背き去った。皆ともに、汚れている。善を行う者はいない。ひとりもいない。
正しい人は居ない(詩篇 14:3 - 新共同訳聖書)』からです。
でも、神様は、こんなスパムメール見たいなことであっても、誠実に、100%行ってくれるわけです。一度約束されたことは神様からは破られないわけです。その神様が、誉れを与えてくれるというわけだから。。。
でも、私たちは、人間の間でほめてもらうとか、いろいろとやりとりすることはするんですが、神様とそういうことはしないんですよね。。。
神様は居ないという人たちから、何で神様が居ないかを聞くと、『自分は見えないから、見えないものは信じない』と良く聞きます。そんな彼らが、目には見えているが実際のモノではない空間でゲームをやっていたりして一喜一憂することも見ます。自分はVisionの研究をしてますから、本当に百聞は一見に如かずであるわけですが、この一見、これほどある意味厄介なものはないかもしれないですね。目に見えるか見えないか。でも、世界を動かしているのは、実態のない、目に見えない経済の流れだったり、国と国の間の感情だったり、目に見えないものこそ大勢を動かしているわけです。そして、神様。目に見えないものに目を注ぐことが一番大事なのにと思ってしまうわけです。。。
今日は、勤労感謝の日。主の勤労、主の導きに感謝して、今日はおこがましいかもしれないですが主に誉を求めるように、お祈りの時間を多く持ちたいなぁと思います。