The discretion of a man deferreth his anger

; and it is his glory to pass over a transgression (Prov. 19:11 KJV) - このブログは基本的に画像処理やRTMなど技術に関することを書き連ねていきます。

Rom. 12:1 | 私たちに与えられた新しい掟

こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。
ローマ人への手紙 12:1

旧約聖書には十戒と言う、神様がイスラエルの民達に与えた掟があります。この律法に従う時に、彼らは義とされる、とずっと信じてきました。ところで、十戒を神様が与えられた時、神様はどのような心でこの律法を与えられたのでしょうか。その背景を考えると、『この律法を守ると、約束の地にいける』と言う賞に対する目標ではなく、『約束の地に行くことが決定しているあなた方は、この律法をを守らなければいけない』と言う性質のもので、それで示されるのは、エジプトの地から出た民達が結局40年荒れ野でさまよい歩くという『罪があることを認識する』ようにされたことと思います。

この前の神様からの約束は、イエス様によって上書きされました。前の律法は、罪を分かるようにするためで、イエス様の掟は、愛を分かるようにするためです。結局、私たちが罪によって死ななければならない者でしたが、イエス様の十字架の血によって赦しを得ていること、そしてその愛を悟るようにされることです。

ローマ人への手紙12章は、正しくイエス様が与えてくださった新しい掟を『十戒』のように列挙したものと思います。その本質は、第一に神様を愛し、神様の義を求め、神様が与えられたものを正しく用いること、次に愛を持って互いに愛し、悪を行わず、善を行い、平和に暮らすように主に仕え、主に祈ることです。十戒では、『すべき、してはならない』という強い口調で掛かれましたが、ここの戒律も同様に『すべき、しなさい』で書かれています。前のものは相手に悪を行わないためのものでしたが、ここのものは相手に善を行うためのものです。

ローマ12:21には、『悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい。』ともあります。悪に勝つには善を行うことです。では、何が悪か。自分を高く、自分の我を通そうとし、自分の義を求めることは、実際は神様の前に悪です。自分のことを神様に委ね、ほかの人に仕えることは善と思います。今日一日が、そのような中ですごすことが出来るように、心の中を気をつけて歩みたいと思います。