The discretion of a man deferreth his anger

; and it is his glory to pass over a transgression (Prov. 19:11 KJV) - このブログは基本的に画像処理やRTMなど技術に関することを書き連ねていきます。

低いものが高くされ、高いものが低くされる

主はモーセに言われた。「わたしは、なおもう一つの災いをファラオとエジプトにくだす。その後、王はあなたたちをここから去らせる。いや、そのときには、あなたたちを一人残らずここから追い出す。
あなたは、民に告げ、男も女もそれぞれ隣人から金銀の装飾品を求めさせるがよい。」
出エジプト 11:1-2 - 新共同訳聖書)
しかし、イスラエルの人々に対しては、犬ですら、人に向かっても家畜に向かっても、うなり声を立てません。あなたたちはこれによって、主がエジプトとイスラエルを区別しておられることを知るでしょう。
出エジプト 11:7 - 新共同訳聖書)

同じように、若い人たち、長老に従いなさい。皆互いに謙遜を身に着けなさい。なぜなら、/「神は、高慢な者を敵とし、/謙遜な者には恵みをお与えになる」からです。
だから、神の力強い御手の下で自分を低くしなさい。そうすれば、かの時には高めていただけます。
(1ペテロ 5:5-6 - 新共同訳聖書)

今まで、ファラオが高慢から、神様を認定せず、自分の意思のままモーセやアロンの言葉に耳を貸さずに、ずっと9つの災いを受けてきたところを見てきました。人間の中では、ファラオは本当に高い存在です。恐らく、ファラオの宮殿には守衛が一杯いて、普通であればモーセやアロンは門前払いされる可能性もあるでしょう。主の計画によって、門前払いも無く、幾度と無く主からの災難を与えてもモーセやアロンがファラオの前に立てているというのは、主の力以外の何者でもないと思います。
ところで、ファラオとはそういったいわば『ファラオと神様のケンカ』状態にあるわけですが、何もエジプトの中ではエジプト人ヘブライ人が抗争していたわけではなかったようです。むしろ、ヘブライ人はエジプト人に好意的に取られていて、尊敬の的であったようです。主がエジプトの金銀をイスラエルの民に分け前として渡すために、このようにしてくださっていることを見ると、1ペテロ5:5-6の言葉も、本当に必要な時に高めていただけるというのが分かります。
今のファラオ以下エジプト人と、モーセやアロン、ヘブライ人の関係はどうなってしまったでしょうか?元々高かった人が神様の手によって低くされ、本当に身分も何も低かった人が今神様のメッセンジャーとしてあげられている。低かった地位の民が高く上げられている。主の恵みはここまでも強いことを見て主に感謝です。
自分自身においても、気をつけなければいけないことが多くあります。特に、博士後期にもなると、学生の中では上の存在となることがありますが、本当に自分が謙遜を持って、また学生たちに遣えるようにしなければ、神様が必要な時に私達を高くしてくださることが出来ないと思います。私達を神様が使えるように。これを第一義に考えると、本当に気をつけて自分を低くしておかなければいけないと思います。
今日は学部生の卒論発表です。彼らの緊張とか、また終わった後に彼らに喜びとかまぁ悲しみ・・・もあるかもしれませんが、彼らの心を良く見て、彼らを励ましたり、共に喜んだりしたいと思います。