The discretion of a man deferreth his anger

; and it is his glory to pass over a transgression (Prov. 19:11 KJV) - このブログは基本的に画像処理やRTMなど技術に関することを書き連ねていきます。

Rom. 10:14-17 | 信仰はキリストの言葉を聞くことで始まる

ところで、信じたことのない方を、どうして呼び求められよう。聞いたことのない方を、どうして信じられよう。また、宣べ伝える人がなければ、どうして聞くことができよう。遣わされないで、どうして宣べ伝えることができよう。「良い知らせを伝える者の足は、なんと美しいことか」と書いてあるとおりです。しかし、すべての人が福音に従ったのではありません。イザヤは、「主よ、だれがわたしたちから聞いたことを信じましたか」と言っています。実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。
ローマ人への手紙 10:14-17

思えば、宗教的な話に入らないように、多くの人が耳を閉ざして、かかわりを持たないようにする、と言うのは確かで、どのような『信じる/信じない』の話も先ずはその話を聞くことから始まります。キリストを信じている私自身が、どれだけ恵みを受けて今ここに居るのかは、勿論私が話すことをその通りと聞く人も居ますが、神様を信じなければ、『でも自分で努力してやったでしょ』とか、『でもそれだけの才能があったんでしょ』と言われるだけなのかもしれません。

信仰は『信じ仰ぐ』事ですから、信頼(信じ頼む)事と若干違いますが、仰ぐ(尊敬する)と頼む(任せる)は寧ろ『任せた結果正しいので尊敬する』ように内包される意味と捉えてもいいのかもしれません。そう考えるとすると、信仰の前段階、信頼は信じて頼むことですから、順番として『信じる』が先に来ます。ローマ10:14-15を見ると、まさに、信仰に入る人を探すための順番があります。詰まり、『派遣』→『宣伝』→『伝聞』→(間にプロセス)→『信頼』→『信仰』であるのだろうと。この間のプロセスは、一般的な教育でもあるもので、『模倣』→『気付き』→『服従』→『成功』若しくは間に失敗を含んで聞いたことが『正しい』と言うことをが分かるプロセスを踏むのだろうと思う。

人間のサイクルはそうですが、では、誰がこれを教えてくれるのだろうか。派遣されるのは誰か。伝え聞くタイミングを与えられるのは誰か。誰を模倣するのか。いつ、誰に気付かされるのか。誰に服従するのか。誰を信頼し、誰を信仰するのか。全て、他ならない父なる神であり、主なるキリストであることを思います。

いずれにしても、先ず信仰はキリストの言葉を『聞く』事から始まることを覚えて、このキリストの言葉を聞く…聖書の言葉を調べ、それに従う必要があります。小言を言われても耳の右から左に抜けるなんてこともあるように、物理的に聞くのと、『理解する・実行する』の意味を含む『聞く』のでは全然違います。主に聞くことは後者を意味しますから、今日一日を、御言葉を覚えて、その中に留まるように、聖句の暗記を良くしたいです。