The discretion of a man deferreth his anger

; and it is his glory to pass over a transgression (Prov. 19:11 KJV) - このブログは基本的に画像処理やRTMなど技術に関することを書き連ねていきます。

ハレルヤ!

ハレルヤ。わたしの魂よ、主を賛美せよ。
命のある限り、わたしは主を賛美し/長らえる限り/わたしの神にほめ歌をうたおう。
君侯に依り頼んではならない。人間には救う力はない。
霊が人間を去れば/人間は自分の属する土に帰り/その日、彼の思いも滅びる。
いかに幸いなことか/ヤコブの神を助けと頼み/主なるその神を待ち望む人
天地を造り/海とその中にあるすべてのものを造られた神を。とこしえにまことを守られる主は
虐げられている人のために裁きをし/飢えている人にパンをお与えになる。主は捕われ人を解き放ち
主は見えない人の目を開き/主はうずくまっている人を起こされる。主は従う人を愛し
主は寄留の民を守り/みなしごとやもめを励まされる。しかし主は、逆らう者の道をくつがえされる。
主はとこしえに王。シオンよ、あなたの神は代々に王。ハレルヤ。
詩篇 146 - 新共同訳聖書)

ハレルヤ(Hallelujah, הללויה)は『主をほめたたえよ』という語です。別に日本語で晴れるやとかなんかそういう語ではないわけです。アリルイヤと発音するところもあるみたいですね。
何故主を褒めたたえるのか?
今の日本とか、大統領制を取ってたり議院内閣制をとってたりするとトップがコロコロ変わるので彼らがその国の主みたいなそういうことがない分、どうも自分の主というのが見え難い状況ではありますが、クリスチャンとしてはキリスト・イエスを万軍の主として、また自分の主としていることを告白している人間なわけです。
ただまぁ、どうやってそんな見ず知らずの方を主とすることができるだろうか?ということには納得できます。そりゃ自分でもそれは嫌ですよ(汗。全然知らない人を『これからおまえの主だから賛美しろ』なんて言われたってそれはねぇ。。。と思います。だから、是非聖書を学ぶことと、本当に聖書が確かかどうか、または祈りの中で、『主と会って話していただきたい』と思っているわけです。
自分自身も、聖書の学びを始めたりする時なんかは、イエス様と…というよりはその一緒に聖書の勉強をしてくれる人との付き合い見たいな感じだったわけで、その人に促されて、まぁ自分もそれだったらいいなぁ的な感じで主を受け入れるかなぁと思ったりもするわけですが。。。それでも、その後、本当に行き詰ったり、ゆっくり聖書を読みながら祈りの時間を持った時に、御言葉から、『あぁ、自分はもう大丈夫なんだ!』と、心から安心できることを経験しました。それこそ、主と会うことなんじゃないかなぁと思っています。