The discretion of a man deferreth his anger

; and it is his glory to pass over a transgression (Prov. 19:11 KJV) - このブログは基本的に画像処理やRTMなど技術に関することを書き連ねていきます。

Rom. 11:32-36 | 誰が神様を知り尽くせるか?

神はすべての人を不従順の状態に閉じ込められましたが、それは、すべての人を憐れむためだったのです。ああ、神の富と知恵と知識のなんと深いことか。だれが、神の定めを究め尽くし、神の道を理解し尽くせよう。「いったいだれが主の心を知っていたであろうか。だれが主の相談相手であっただろうか。だれがまず主に与えて、/その報いを受けるであろうか。」すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのです。栄光が神に永遠にありますように、アーメン。
ローマ人への手紙 11:32-36

私自身、神様が私たちを愛してくださるのなら、何故世界で争いが起こる様にされるのか、疑問に思うことが多くありました。また、自分が悪い状態になるときに、『神様のせいだ』とその原因を神様に押し付けることも良くありました。私たちは、自分の先を知らないので、分からないで…適当にこうなるだろうと信じて…それを実行しますが、その帰結が結局自分の益にならないときに、自分で決めた自分の行動が原因であるのに、『神様がそうした』と勝手にその責任を放棄するということが良くあります。

ローマ11:32を見ると、神様が、私たちについて、神様に従順であるよりは、不従順であるようにされたように書いていますが、実際には人間の側から離れてしまったものでした。然しながら、神様は人間を造られた方で、ずっと今までも愛し続けてくださり、憐れみを与えてくださる方でした。

毎日沢山の愛を与えられている子供が何不自由なく過ごしている時に、親と離別しなければいけない状態になったなら、それは悲劇でしょうか。確かに悲劇かもしれませんが、親と離別した後には親に沢山愛されていたことを本当に自覚するでしょう。その時には、離別した親をまた探すようになるかもしれません。そして出会えた時には、この子供は親を愛し、また親も子を愛するようになるでしょう。片方向の愛だったものが、両方向になるなら、もっとすばらしいことと思います。

これらのような神様の知恵は、果たして誰が全てを知ることが出来るでしょうか。ある起業家は、リーダーシップを取る自分のことを社員は誰も理解してくれないと話します。孤独であると話します。ひとつの会社でそうならば、神様はどれくらい孤独でしょうか。誰も他の人の全てを知りえないのと同じで、私たちは神様の何も知らないのかもしれません。

では知るにはどうすればいいでしょうか。主が自分に必要な事柄を知っていると信じて、主に聞くことです。主に聞くことは主の言葉である聖書を覚え、深く黙想し、そこから出る適用を良くすることと思います。神様の相談を聞くことはありませんが、神様は私の相談者であります。主にいつも相談しながら、一歩一歩歩む日となるようにお祈りします。