The discretion of a man deferreth his anger

; and it is his glory to pass over a transgression (Prov. 19:11 KJV) - このブログは基本的に画像処理やRTMなど技術に関することを書き連ねていきます。

先にお遣わしになった

神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのは、この国にあなたたちの残りの者を与え、あなたたちを生き永らえさせて、大いなる救いに至らせるためです。
わたしをここへ遣わしたのは、あなたたちではなく、神です。神がわたしをファラオの顧問、宮廷全体の主、エジプト全国を治める者としてくださったのです。
(創世記 45:7-8 - 新共同訳聖書)

ヨセフがこの日のために遣わされたのは、一体いつからだったのでしょうか。まだ若い時に、偏愛されたヨセフが他の兄弟達から顰蹙を買った挙句に殺されそうになり、しかしその課程でイシュマエル人に売られ、エジプトに来てからどれだけ経ったのでしょうか。しかし、今ここで見たのは明らかに『若い時に見た2つの夢(神様からの啓示)』が成ったことと共に、過去の罪から何からが全部明らかになった上で全て赦され、今は神様の計画のみが残っていることなのだと。
先に遣わされるというのは、他の人のためのことです。先に遣わされる人が居なければ、どうやってあとから来る人が平安のうちに行動できるでしょうか。紆余曲折があって、ヨセフによってヤコブ達がエジプトの地に来て良い状態に均されたわけです。しかし、先に遣わされる人は本当に多くのリスクを負います。これも、全て主が見てくださったものです。
今、自分はクリスチャンとして生活しているわけですが、クリスチャンと言っている人(洗礼を受けた方)の数は日本の中で1%くらいしか居ないわけですね。先達も多く居る(初代教会の迫害の数よりも、日本のキリシタンの迫害の数の方が多いと言われているくらい)のですが、今この場所にあって本当に少ないクリスチャンの中で、こうして自分が主を受けたのは、自分がそれを選んだからと言うわけではないと思っています。実際、小さい頃から教会学校に通ったりとか、親に連れて行かれた訳ではないので何でそうなったのかは今では自分でも分からない状態ですが、いつの間にか導かれ、他大学を志望して全くダメで、会津大に来て主を受け入れたわけですから。。。
そうすると、自分もやはり先に遣わされた人間なんだと言う事です。この会津の地でも、会津大学でも、先達は多い方ですが、しかしまだ大学の中ではクリスチャンは少ない(学部生の中には本当に10人も居ないのでは?)ですし、彼らのために自分が先に遣わされたのだと思うと、やはり真摯に御言葉を伝える者として、生活しなければと思います。