The discretion of a man deferreth his anger

; and it is his glory to pass over a transgression (Prov. 19:11 KJV) - このブログは基本的に画像処理やRTMなど技術に関することを書き連ねていきます。

大学院教育の目標

大学院教育で何が出来ると人が育ったと言えるのか
http://d.hatena.ne.jp/kaz_ataka/20081028/1225126542
日米の大学院教育の目標の違い
http://d.hatena.ne.jp/nucleotide/20081030/1225297934

最後の英語で…というところがかなり自分的に痛いところではあるんですが、うちの大学でも、学生、院生、教員、及び職員に至るまで、わきまえ知るべきであろう内容かなぁと思います。

僕の経験からの印象では、日本の大学院の与える"学位"(博士号のこと)の意味は、
1. 大変な院試を通ったので知識は教科書レベルで大体知っている、
2. 当然のことながら、やってきた研究周りの手技はそれなり以上に自信がある、
3. それなりの数の人のセミナーも聴いた、それなりに研究分野については論文も読んできた、
4. ある程度、ペーパーを書く経験もした、
5. 何度か学会で発表したし、
6. まあ長い間研究をやりました、5年以上の苦痛にも耐えられます、
7. ラボの若いやつの面倒も多少見た、
ということのように見える。

うちの大学についても、同様か、それ以下かもしれない。実際、研究会や国際会議での発表をせずとも学位は取れるし、酷いのになれば別な先生の腰ぎんちゃくになって通そうと思えば通るわけだし。
一番下の7.なんて、やっていればいいだろうけど一部聞いたところだとそれすらもやってないというか後輩に迷惑掛けてる人も多く居るような気が(汗
そして、米国のはというと

で、アメリカのresearch universityでは、

* independentな研究のプランニング、遂行能力
* 大学における教育能力

この2つの能力を育てるのを目標に掲げていて、筆者流に書き直すと、

1. その学問分野における偏りのない、大学教員ができるレベルの体系的な知識
2. その学問分野における現在の重要課題とその背景の包括的理解
3. 論理的な批判力、論点、課題推敲力
4. 強いanalyticalな文章を書く力。特に論文とグラント申請、、、"Science is a writing business"と言って非常に重視
5. 人前での発表、対応力
6. 自分で活動を設計し、活動をマネジメントしていく力。これにはアドバイザーや必要な周りの人も含めた調整力も含まれる
7. Undergraduate(=賢いが無知な人)にわかりやすいように教え、幅広い質問に答え、導き、encourageする力

以上を全部英語で、(←トドメ・苦笑)ということだそうです。

これこそアカデミック!という内容だと思いますよね。博士課程後期である以上、助手が『半教授』なんではなくて、博士課程後期の学生が『半教授』である必要があるんだと。そして、自分自身で何か新しい事実を見つけるための体系的な知識と、それを生かして得られるであろう『知恵』を作ることができるか。
自分自身、これを全て出来るかは不明だけども、実際これが出来て教員として成れるんだと学部時代から思ってたりします。
しかしながら、こういったことをそもそも日本の教授で教えられる人ってどれだけ居るんだろう…。
まずもってこういったことを学部3年〜修士2年までに、自分がやられていて、そしてこれからやるんだということを経験しなきゃいけないわけですよ。特に日本の場合。
米国でだったりとかすると、社会人からドクターとか多いんじゃないんですかね。そもそも、こういったことができるようになるのって、割とその人がどう歩んできたかの経歴がないと、わかんないというか悟れないんじゃないかなぁと。
日本のDは、最近は社会人ドクターとか増えてきたけど、ダイレクトに行くのが常套であり、それ以外は論文博士
しかも課程博士に行く人が少ないからとかって、勝手に東南アジアとか東アジア諸国から人間引っ張ってきて、んでもってとりあえず権利とお金と引っ張ってこようみたいな運営だから、そもそも論として教授がそういう人間を指導出来るという人が少ないような気もする。
そう考えてみると、うちの大学って恵まれてるよなぁ…。
今は35%位になってるけど、海外出身の教授が多いこと、さらには学閥出身ではなく、企業出身の教授が多い。つまるところこういった理念さえ堅固に持って指導する体制さえ整えば、他大学みたいなしがらみなんてないから明らかにこういうことが達成できる確率が高い。と思いませんか。
そうすると、学士論文、修士論文、及び博士論文の目標みたいなものを、もう一度考察する必要があるんでしょうかね。うちの研究室の先生なんかは、それでも修士論文は努力賞だからみたいなことを言ってるけど…。どうなんだろうね。。。