The discretion of a man deferreth his anger

; and it is his glory to pass over a transgression (Prov. 19:11 KJV) - このブログは基本的に画像処理やRTMなど技術に関することを書き連ねていきます。

どんな家でも建てる必要がある。

家を建てる人が家そのものよりも尊ばれるように、イエスモーセより大きな栄光を受けるにふさわしい者とされました。
どんな家でもだれかが造るわけです。万物を造られたのは神なのです。
(ヘブル人への手紙 3:3 - 新共同訳聖書)<<<
今の世の中だと実際はどういう風に敬われるかみたいなのは分かりませんが、少なくとも今でも有名な建築の設計者などは皆名前がよく出ているものと思われます。また、イスラエルの地域は、砂塵や突発的な洪水のある、非常に建築に難しい地域であったようで(聖書にはそういった記述がある)、日干し煉瓦の建物を建てるのに、しっかりとした基礎を組んで…みたいな話もあるとおり、その建てる人がよく用いられていたと思います。
今の世の中が、家を建てる人が、家そのものよりも尊ばれているか…という点はちょっと難しいかもしれません(汗。なぜなら、多くの建築は、既に建築者の名前が残っていないものもありますし、多くの人が建築物には興味があっても、建築者に興味を持つかと言われるとそうでは無いことが多いからです。
ともすると、この状態は神様と私達の関係も表しているのかもしれません。建設物(人やお金、モノ)に対して興味があっても、建設者である神様に興味が無いのかもしれません。しかし、造ったのは神様ですから、尊ばれるべきだと思います。
その造り方も千差万別。進化論をはじめそれらのことは神様の創造を何ら否定しないと思っても居ます。なぜなら、その工程を許されたのは神様であるからです。しかし、進化論はモノに対してしか見ていません。設計された神様に対して見ていないのではないかと。
そういった意味で、クリスチャンとして進化論は自分自身本当に本当なのか?と疑問に思うことがありますが。。。まぁ、この辺は色々と議論があると思いますが(汗