The discretion of a man deferreth his anger

; and it is his glory to pass over a transgression (Prov. 19:11 KJV) - このブログは基本的に画像処理やRTMなど技術に関することを書き連ねていきます。

過越

モーセは、イスラエルの長老をすべて呼び寄せ、彼らに命じた。「さあ、家族ごとに羊を取り、過越の犠牲を屠りなさい。
そして、一束のヒソプを取り、鉢の中の血に浸し、鴨居と入り口の二本の柱に鉢の中の血を塗りなさい。翌朝までだれも家の入り口から出てはならない。
主がエジプト人を撃つために巡るとき、鴨居と二本の柱に塗られた血を御覧になって、その入り口を過ぎ越される。滅ぼす者が家に入って、あなたたちを撃つことがないためである。
あなたたちはこのことを、あなたと子孫のための定めとして、永遠に守らねばならない。
また、主が約束されたとおりあなたたちに与えられる土地に入ったとき、この儀式を守らねばならない。
また、あなたたちの子供が、『この儀式にはどういう意味があるのですか』と尋ねるときは、
こう答えなさい。『これが主の過越の犠牲である。主がエジプト人を撃たれたとき、エジプトにいたイスラエルの人々の家を過ぎ越し、我々の家を救われたのである』と。」民はひれ伏して礼拝した。
出エジプト記 12:21-27)

歴史的にも、また宗教的にも非常に重要となる『過越』は、出エジプト記の12章に出てきます。事件として捉えれば、武力こそ用いなくとも、何かしらのテロやクーデターのように思われても致し方ないほどの事件です。なにせ、一民族が独立して出て行くというお話ですから・・・。
この中身をよく見ていくと、この生贄の中身は、その血によって罪が許され、主が過ぎこされるということだと思います。
また、その生贄が準備されたのは今回は羊だったわけですが、私たちにはイエス様がその身代わりとして与えられたことになります。
既に自分たちは心に主によって過越が与えられたことになるとすると、本当にその恵みが素晴らしいことを覚えます。