The discretion of a man deferreth his anger

; and it is his glory to pass over a transgression (Prov. 19:11 KJV) - このブログは基本的に画像処理やRTMなど技術に関することを書き連ねていきます。

御心に留められる

それから長い年月がたち、エジプト王は死んだ。その間イスラエルの人々は労働のゆえにうめき、叫んだ。労働のゆえに助けを求める彼らの叫び声は神に届いた。
神はその嘆きを聞き、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされた。
神はイスラエルの人々を顧み、御心に留められた。
出エジプト記 2:23-25 - 新共同訳聖書)

神様は、弱い立場にある人間を放っては置かれません。イスラエルの人々は、他の強国と違って、土地と国が与えられるのが遅かったですが、ずっと主が導いて、良い時に約束の地へと導くことを考えておられました。
思い起こすというのは、忘れていたわけではありません。その契約を果たすべき時が、今やっと来たということでしょう。年数にして430年とも言われている長い期間(この期間の長さも定かではありませんが)は、主から見ればあっという間かもしれません。その間に、ヤコブ一族の男子70人が、約60万人にも膨れ上がっているということです(エジプトを出た時の人数)。
御心に留められる出来事とは、どういったことでしょうか?
単純に新共同訳聖書の中で『御心に留め』と検索すると、ノアと彼と共に居た獣・家畜(水が引く前)、アブラハム(によるロトへの祈り)、ラケル(初産)、出エジプト、ハンナ(サムエル)、契約に対して(詩篇)、低くされたものに対して(詩篇)、主に身を寄せるもの(ナホム) などです。
こう見てみると、『契約した人』、『低く、弱くされた人』、『主を信頼する人』に主が御心を留められるように思います。

同じように、若い人たちよ。長老たちに従いなさい。みな互いに謙遜を身に着けなさい。神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられるからです。
(ペテロ第1の手紙 5:5 - 新改訳聖書

神様の性質は、高ぶる者、高慢な者を低くされ、へりくだる、身分の低い、弱い者を高くされます。イスラエルも例外ではなく、低くされたモーセ当時のヘブライ人(=イスラエルの民)は、カナンの地で国を建てるまでに強くされました。しかしながら、その課程にあったのは、自分自身を高く立てる高慢さを、神様にへりくだる低さにまで態度を低くされることでした。
その後、ダビデが王となって、イスラエル王国が強くなり、その後ソロモンによって継がれた後、高くなりすぎたイスラエル王国は分裂し、神様を忘れ、弱くされていき、再び他国の従属としてさまようことになりました。
今日ではどうでしょうか。イスラエルという国は復活しましたが、本当にイスラエルが復活したのでしょうか。建国前のユダヤ人達は確かに低い者とされる人も多かったですし、彼らに対して神様が顧みられ、御心に留められたとすれば、非常に素晴らしいことだと思いますが、彼らの心の中はどうでしょうか。
そして、私達自身はどうでしょうか。契約という点では、イエス様が私達のために流してくださった血によって、既に救われる契約が成されていて、それを信仰することは主を信頼する人と言う事です。後は、主が私を使えるように、自分が低くなる必要があると言う事では無いでしょうか。
こうなった時に、主が御心に留められ、私自身を使ってくださるのだと思います。今は信仰も、低さも、足りないですが、先に神様がイエス様を通して契約してくださったことを見て感謝します。
また、今、引越しを考えてわくわくしていますが、天の国に引っ越すことを考えてわくわくすることも同じことだと思います。天の国が素晴らしいことは、聖書にも、また一般的にも言われている通りです。既に天の国にいけることを神様が確約してくださっているので、わくわくしていきたいです。