The discretion of a man deferreth his anger

; and it is his glory to pass over a transgression (Prov. 19:11 KJV) - このブログは基本的に画像処理やRTMなど技術に関することを書き連ねていきます。

ブログタイトル→どうやって知識を獲得するか?

Wisdom is better than weapons of war, but one sinner destroyeth much good. (Ecclesiastes 9:18)
というテーマで、自分のブログは書かせていただいてますが、これは聖書の御言葉で、日本語だと、
知恵は戦いの武器にまさる。しかし、ひとりの罪びとは多くの良きわざを滅ぼす。(伝道の書 9:18 - 口語訳聖書)
と表現されています。(他の聖書で、同様の表現・・・とは言い切れないものもありますが。)
もうちょっと広く見ると、

またわたしは日の下にこのような知恵の例を見た。これはわたしにとって大きな事である。
ここに一つの小さい町があって、そこに住む人は少なかったが、大いなる王が攻めて来て、これを囲み、これに向かって大きな雲梯を建てた。
しかし、町のうちにひとりの貧しい知恵のある人がいて、その知恵をもって町を救った。ところがだれひとり、その貧しい人を記憶する者がなかった。
そこでわたしは言う、「知恵は力にまさる。しかしかの貧しい人の知恵は軽んぜられ、その言葉は聞かれなかった」。
静かに聞かれる知者の言葉は、愚かな者の中のつかさたる者の叫びにまさる。
知恵は戦いの武器にまさる。しかし、ひとりの罪びとは多くの良きわざを滅ぼす。
(伝道の書 9:13-18 - 口語訳聖書)

これは実に知恵の重大性の一つの例示であって、しかしながら知恵に対して無視があるということだというところであり、特に罪びととは、ここでは『記憶しなかった』=無視した人々ということになるだろうと思っています。
さて、テーマですが、知識の獲得について、どうやって?ということなんですが、まさにこの部分が重要なのではないかと思います。知恵や知識を得るためには、『無視しない』ということ。言い換えれば直視する必要があると言う事ですね。そして、研究者にとって、その研究に対して直視すること・・・すなわち、What, Why, Who, When, Where, Howと言った5W1Hを『自分が知っていると思っていること』にすら考えることではないでしょうか。もちろん、全部が全部それが可能と言うわけではないので、ある程度仮定(自分が知りたい場所・目的を得るためにあえて『無視する』場所)を置いてからのスタートとなるでしょうが。
どのように研究するかとか、どのように仕事するかとか、そういったことに対してはそれぞれもっと素晴らしい先人達の本があるので、それを参照していただければと思いますが、自分がやっている知識を知るための態度というのを、少し書きたいかなと思います。

  • 自分の持っている知識を先に曝け出す
    詰まるところ、相手に何かを聞くときには、自分の到達点を教える必要があると言う事。別に、某錬金術師みたいに等価交換ということではなくて、自分がどこまで知っていて、どこからわからないのかが明確にならないと、相手もわからないよと言う事。
  • 自分の持っている知識は完全でないことを知ること
    自分の持っている知識が完全だったら聞く必要が無いですもんね。この部分は『謙虚』にも繋がりますが、そもそも『自分は知らない人間である』ことです。
  • (目的に対する)疑問を持って書物を読む
    先に言った5W1Hを基本にして、技術書だとか論文とかを読み進めた方が、又読みは多くなるが、確実に早く読める。書く論文にもよりますが、そもそも5W1Hの中で、自分が知るべきなのはそこまで多くない場合があって、WhatとWhoさえ分かればいいとか、Howだけ分かればいいとか、そういうところがつかめれば、読み飛ばせる場所も多くなると思います。
  • 何気ない、一般的な処でも相手の意見を聞く
    分野違いでも、別に他愛の無いことでも、相手と仲良くなってよく話が聞ければ、それはかなりのプラスだということ。
  • 聞いた方が早い案件はさっさと聞く
    自分で調べるより、当の本人に聞いた方が早いなら、怒られること覚悟で聞いた方が早い。
  • 基本的に『すみません』な態度
    日本的だといわれそうですが、これは素晴らしいことだと思います。相手の時間を取ってしまってすみません。相手の知識に及んでいなくてすみません。自分が無知ですみません。“しかしながら”自分は知りたいという強い意志を持って聞くのが、人に聞く態度だと思っています。

と、何気なく、簡単に書いていますが、自分でも全然出来ていないです(汗。特に聞いた方が早い案件とか。ついつい先延ばししてしまうんですよね。。。理由は『面倒だから』。そうなんです。面倒なのは先に送ってしまうんです。そして、無視しちゃうんですね(汗。だから、知識を獲得する時は、無視しちゃいけないわけなんです。どんな状態であっても。
自分でも、怒られたり、知ったかぶりされたり(というか自分が知ったかなんですけど)、けなされたりするのは当然イラつきますし、キレることもありますが、本当に知識を得たい時は、自分が怒ろうがへこもうが、それを受け入れないと、その人から知識や知恵を得ることが出来ないと。そう思って、まぁ変な話図太く生きていきたいなぁと思っております。
ぁぁ、あと、知識を獲得したら、その知識を他の人に分けてあげないと、意味が無いですね。お金と同じです。使わないお金は意味が無いわけです。それに、知識を分け与えるということは、自分に十分知識が無いとやっていけない。つまり、十分以上の知識があって始めて教えられるので、教えること自身も、自分が知識を得る場所になっているということですね。どんどん教えていけるように、新しい知識を、また、古くても良い知恵を、獲得していきたいとおもいますよ。