The discretion of a man deferreth his anger

; and it is his glory to pass over a transgression (Prov. 19:11 KJV) - このブログは基本的に画像処理やRTMなど技術に関することを書き連ねていきます。

世知辛い世の中

やっぱり弱いところにどんどんひずみが来るんだなぁと思う今日この頃いかがお過ごしでしょうか。
自分のことではない他人のことでここ数日ずっと心配して頭悩ましてずっと祈り続けておりましたです。まぁ・・・一定の結末を見そうで。主の導きに感謝と、これからの導きを信頼しつつ・・・ですね。
それよりもなんか、世の中には理不尽な給料値下げとか、首切りとかいっぱいあるようで。お金が無いからと言って、汗して働いている末端がまず首切られるというのは如何なものかと。確かに、末端の人間は、管理する人間に比べてリスクが少ないとは言いますが、しかしながら実際にリスクを負っているのは末端の人間ではないだろうかと。そこが正社員と非正規の違いと言われても、正規職員を約束されて入社したはずの人間が3年経とうとしていてもいつまでも非正規のままと言うのも、コレもまた日本の産業構造。高卒には明日は無いのです。
しかしながら、こう見てみると、学歴社会ですね。高卒と専門卒のギャップ、専門卒と大卒のギャップ、そして学部卒と修士卒、修士卒と博士卒のギャップ。面白いもので、学部卒と修士卒の門戸は広く、専門卒はまぁソルジャーとしてはそこそこ、博士卒は年齢的に見て、専門卒の中途と同じくらいの量しかなく、高卒にいたっては本当に少ない。能力の差や年齢の差・・・だけとは如何ともしがたいこの『求人の差』は、今正社員の人にとって、また雇用者にとって見れば当然なんですが、必死に求職している人間にとって見ればまさにベルリンの壁のごとく聳え立っているわけですね。だからと言って、非正規で安月給で、かつ体を壊した人間が、一人で高卒から専門卒になるために学費を稼ぐなどと言うことは出来ず、職業訓練を経ても高卒以外の何者でもないというこの高い壁はどうしたら越えられるのでしょうかね。
そして自分も、博士卒という、日本の中ではなんとも鼻持ちのならない(であろう)位置に到達してしまうわけです。好き好んできたから別に自分は気にならないんですが…。はたまた、他の人から見たらどう見えるんでしょうかね。