The discretion of a man deferreth his anger

; and it is his glory to pass over a transgression (Prov. 19:11 KJV) - このブログは基本的に画像処理やRTMなど技術に関することを書き連ねていきます。

主の導き

ロトはためらっていた。主は憐れんで、二人の客にロト、妻、二人の娘の手をとらせて町の外へ避難するようにされた。
(創世記 19:16 - 新共同訳聖書)

聖書の物語の中ではかなり有名なソドムとゴモラのシーンで、アブラハムの甥であるロトが主から導き出されて、主の滅ぼしの前から逃れることが出来たということは皆さんも知っているかと思うのですが、今日はこの節を見て、主の導きに対して目から鱗が落ちました。
実はこの2人の客人、ロトの前をも過ぎ去ろうともしたわけですが、ロトがしきりに促したので泊まることになったわけです。ロトは正しいか正しくないかを知っていた人でありますが、世の中に対してもずっと隔絶していたわけではなく、どちらかというと今の自分たち(世的なクリスチャン)に近いのかもしれません。だから、今ある生活から離れて、逃げるという時に、ロトは迷いがありました。
神様がなさることは、迷いがある人をも、そこに行って半強制的にでも連れ出すことのできるほどの力がある方だということです。アブラハムが主に祈った約束を果たすためにということもありますが、5人にも満たない、1家族たった4人(妻は逃げる途中に塩の柱になってしまいますが)を救い出すために、使いを2人送り、そしてその使いの2人が導く(どちらかというと引っ張り出す形で…を想像したのですが)形でロトの家族が命からがら逃げ出すことができたわけです。
主は、ずっと待ってるだけの方ではないということ、手をひっぱりだしてでも救いを与えてくださること、そして、祈りを捨て置かれない方だということを、今年一年もずっと持ち続けて、祈りの中で生活したいなぁと思います。