The discretion of a man deferreth his anger

; and it is his glory to pass over a transgression (Prov. 19:11 KJV) - このブログは基本的に画像処理やRTMなど技術に関することを書き連ねていきます。

唯一の献げ物

すべての祭司は、毎日礼拝を献げるために立ち、決して罪を除くことのできない同じいけにえを、繰り返して献げます。
しかしキリストは、罪のために唯一のいけにえを献げて、永遠に神の右の座に着き、
その後は、敵どもが御自分の足台となってしまうまで、待ち続けておられるのです。
なぜなら、キリストは唯一の献げ物によって、聖なる者とされた人たちを永遠に完全な者となさったからです。
(ヘブル人への手紙 10:11-14 - 新共同訳聖書)

クリスチャンとなったとしても、毎日の生活を見ると一割も神様に従いきれていないことがあります。従いたい、今日はこの罪から離れたいとしても、自分の体や自分の心は弱く、結局何もできないことが多いです。
自分の弱い部分はいっぱいあります。物事に対して一度熱が冷めると途端にやらなくなり、する必要があるのにほったらかしにしてしまうとか、多く買い過ぎ、そのまま多く作るので、多く食べ過ぎるとか、最近はどうしても大学の中で先輩に当たる人が少なくなっている分、幾分か言葉遣いも乱暴になって来てる部分が出てきたようにも思えます。
これらの罪に対して、赦しを乞うために毎日毎日、朝に雉鳩2羽とか焼き尽くす供え物とか用意して行ったとしても、人間の心が変わるのは難しいです。しかも、その贖罪の供え物では、結局は罪を赦していただくことができなかったのです。
エス様は、この問題を解決してくださるために、自らを罪のための唯一の生贄として献げてくださいました。しかも、そのあとの復活によって、死にまで勝利してくださったのです。これがどれだけ素晴らしいことでしょうか。神様は、イエス様の御名を通して、自分たち人間の罪を赦して下さるようにして下さったわけです。しかも、神様が、私たちが罪の生活に居ることのないように、御力を注いでくださるようになりました。
まだ自分の中では多く罪から離れるようにすることができていませんが…それも一つ一つ主によって離れていくことができるように、また、神様からの恵みをよく感じることができるようにありたいと思います。